コラム

小栗旬筋太郎の検索の向こう側「#43子供の頃、無意識に聴いていたラジオの話」

小栗旬筋太郎ですけど、今週は、私のそばにはいつもラジオがあった、みたいな、子供の頃何となく聴いていたラジオの話したいと思います。

小学生の頃、スイミングスクールに通っていました。

理由は多分、周りの友達が行ってたから、みたいな感じだと思うんですけど、やり始めたら当然辛くて、

#1でやった、週刊スタミナ天国を途中まで見てマーシーとヒロミに泣く泣く別れを告げて、近所から出るバスに乗って30分ぐらいかけてプールに行ってました。

その時バスの車内でかかってたのが文化放送、

「みのもんたのウィークエンドをつかまえろ」

でした。土曜の昼、まだ息子がああなるとは知るよしもなかった、軽妙なみのもんたのトークを、憂鬱な気分で聴いてました。もうすぐスクールに着くぐらいのタイミングで流れてた、今でもよく聞く、埼玉トヨタの

週末はトヨタのお店へ!

のCMの、謎音楽とかはもう、断末魔みたいな感じで聴いてました。

とはいえ土曜だったんで終われば気分は晴れやか、プール終わりで飲むカップのメロンソーダは格別で、

帰ってから見る鶴ちゃんのプッツン5も楽しみでした。

その後小学校高学年から中学になると、塾に行くようになりました。

ちょっと遠い、皆と違う塾に行ってた僕は、友達がいなくて辛い思いをしてました。

そんな塾に向かう途中、平日の夕方に聴いていたのは文化放送、

「吉田照美のやる気MANMAN!」

とその後の時間でやってた、

「小倉智昭の夕焼けアタックル」

でした。そうです。後に司会者が、アシスタントの女性に手を出したのが発覚する二大番組です。

「夕焼けアタックル」の中でやってたミニ番組、

「川中美幸 人 うた 心」

を、刑を待つ死刑囚の気持ちで聞いていました。

調べたらこの川中美幸の番組、まだやってるんですね。35年ぐらいやってます。

スポンサーは「蕎麦焼酎・雲海」で、あの頃は飲めなかった焼酎も、今ではお茶で割って、毎日飲むようになりました(遠い目で)。

とはいえ、塾終わりに本屋さんに寄って貰って買うシングルCDと、コンビニで食べたタコスまんが楽しみでしたね。

この2つは地獄へ向かう→ラジオ→終わってご褒美って感じですけど、それで流れで思い出すのは、小学校の頃やってた少年野球です。

日曜日に朝、皆で集まって、車で球場に向かうんですけど、その時流れてたのはニッポン放送、

「裕司と雅子のガバッといただき!!ベスト30」

でした。普段は文化放送かかってたけど、先程紹介した吉田照美の番組のアシスタント、小俣雅子が出てたから日曜はこれだったんでしょうか。

野球がホントに苦手だったので、何も無い日に聞いたら普通に面白かったと思うんですけど、球場まで玉音放送聴いてる感じでしたね。試合前ですけど。

しかも野球の場合は終わってもご褒美的なのがないんですよ。

ミスするし打てないし、次は月曜日っていう。

Jリーグブームの時に入ったのでチームは10人しかいないので下手でも出るしかなくて、

熱心な友達のお母さんが皆の打率つけてたんですけど、僕.012ぐらいでした。

3年ぐらいやってて、結局ヒット1本しか打てなかったんですけど、

打った日は、練習で太陽が眩しくてフライ取れなくて打球が目に直撃して、片眼瞑って振ったら当たった、みたいな感じでした。

そんな感じで私のそばには(特に嫌な思い出の時には)、いつもラジオがあったという話でした。ありがとうございました。

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小栗旬筋太郎
小栗旬筋太郎
爆笑問題カーボーイ・メールナンバー1グランプリ2018優勝
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